無料ブログはココログ

2012年1月 5日 (木)

「祇園の姉妹」

溝口監督は『山椒大夫』を見て、そのあとで『雨月物語』を見て、

今回『祇園の姉妹』を見ました。

まだ3作品しか見てないですが、どれも違った趣で、まだ溝口映画の共通点を見つけられていません。

3つとも素晴らしかったのですが特に『祇園の姉妹』、好きです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実家のトイレに、相田みつをさんのカレンダーがあって、

「損か得か、人間のものさし。善か悪か、仏様のものさし。」

というのがありました。

価値判断の基準。

①「損得」②「善悪」③「美醜」

私は完全に「損か得か」で動く人間ですけども。これははっきりと言い切っちゃいますけども。

なかには「善か悪か」で行動を決める正義感の強い立派な人もいるのでしょう。

そしてさらに崇高な精神として、「美しいか、醜いか」という判断基準。

『祇園の姉妹』のお姉さんは「美醜」を判断基準としてお持ちなのでしょう。

人として美しい行いを選択する。

それに対して「損得」を判断基準として持つ妹。

妹が男達をコロコロ転がしていく生意気な姿が可愛らしくて好きです。

対照的な二人。

ちょっと『風と共に去りぬ』のスカーレットとメラニーみたいだなぁと思ったり。

しかしラストは二人とも男達にひどい目に合わされてしまいます。

妹の嘆き。「世間を気にして、世間が私たちに何をしてくれるの?」

とても心に残りました。

悲痛な叫びのようなかたちで発せられた言葉ではあるけれど、この台詞、とても気に入りました。

近年よく言われる「空気を読む」という言葉。

この言葉が流行りすぎて、空気を読むことが最重要問題になってしまったように思います。

空気を読むことは確かに大切だし、

私のようなごく普通の人間は意識的・無意識的に空気を読みながら生活をしているのだけど、

「世間を気にして、世間が私たちに何をしてくれるの?」

この言葉を心に置いておくだけでなんだか解き放たれたような気分になれるのです。

2011年12月 2日 (金)

『自転車泥棒』

イタリア ネオレアリズモの傑作『自転車泥棒』。

自転車を盗まれて探し回るっていうおはなし。

あらすじだけ聞いたらつまんなそーだし、

そんなんで映画として成立するのかってかんじですが、

この、なんでもない日常を描くことで喜怒哀楽を味わえるということが

ネオレアリズモの真髄ではないかと思います。

映画に何を求めるかは人それぞれですが、私は「身近な映画」が好きです。

地球最後の日のような特別な一日ではなく、果てしなく続いていく日常を描いた映画。

何百億もかけて作った映画より、とにかく映画が撮りたいっていう情熱と勢いで撮ったような映画。

だからこの映画がとても好き。

父親と子供のやりとりはチャップリンの『キッド』を思わせるような

哀愁を帯びた滑稽さがとても良かった。

父親はほぼ無表情で、感情をあまり顔に出さず、

そんな主人公をカメラが追う。

その淡々としたシンプルさが緊迫感を生んでいたように思います。

こっちまでヤバイヤバイどうしよう…と冷や汗が出てくるような気分でした。

追い詰められてとうとう自分が自転車を盗むという行動に出るんですが、

結局すぐに取り押さえられてしまい、その姿を息子にばっちり見られているという…。

あぁ…かっこ悪い…。

自転車の持ち主は警察に突き出さずに逃がしてくれ(何て優しいんだ)、ヨロヨロと歩き出す父親。

その横を歩きながら、泣きそうな顔で何度も父親の顔を見上げる息子。

途方に暮れ、父親の方が泣き出してしまう。

父親の手をギュッとつかむ息子。

握り返す父親。

この無言のやりとりが最高に素晴らしかった。

この親子役はオーディションで選ばれた素人だそうですが絶妙でした。

2011年11月27日 (日)

『ザカリーに捧ぐ』

毎週金曜日、TOKYO MXの「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」という番組を楽しみにしている。

日本未公開の海外ドキュメンタリー映画を放送してくれる番組。

町山智浩さんが厳選した映画ですから、全てが過激で面白い。

私が知っている「アメリカ」は本当に一面でしかないんだなぁと言うことを思い知らされます。

町山さんは私に映画と世界について教えてくれる大先生です。

この番組で紹介されたドキュメンタリー映画は町山さんの解説つきでより面白くなっていて、正直、町山さんの解説がなかったら見る気にならないかも…。

衝撃的な作品の中でも最も衝撃的だったのは『ザカリーに捧ぐ』です。

これは放送を見逃したため、DVDを借りてみました。

この映画の内容は公式サイトから引用すると、

「アンドリュー・バッグビィは、ペンシルヴァニアの駐車場で殺害される。

その第一容疑者であった彼の元ガールフレントは、アンドリューの子供を妊娠・出産し、ザカリーと名づける…。」

これ以降のあまりにも衝撃的過ぎる展開はここには書けませんが

もともとはアンドリューの親友であった監督が、ザカリーのために

「君のお父さんはこんな人だったんだよ」と言うことを伝えるプライベートビデオとして撮られていたもの。

それがドキュメンタリー映画となっていってしまった。

どんな作家も、こんなに恐ろしいストーリーは書けないだろう。

それが現実として起きたことなのだと思うと、言葉を失う。

バッグビィ夫妻の気丈さ。

私には何もできないけれど、私もあなたの家族です、と言いたい気持ちになりました。

2011年11月21日 (月)

『はなれ瞽女おりん』

素晴らしい映画でした!

まずは映像が良かった。

目が見えないおりんを通して、四季の中の風の音や木々のにおいが感じられる不思議な感覚。

当然私は映像で見ているんですけど、映像から 花のにおい、春の風、雪道の冷たさを体感しているようなかんじで。

初潮の描写も素敵でした。お花が咲いてた(笑)。

懸命に唄い、懸命に愛し、懸命に生きてきた可愛らしいおりんの最期はあまりにも無残だった。

決してハッピーエンドではないとわかっていたものの、とてもとても悲しかったです。

おりんちゃんの人生をずっと見守ってきたわけですが、不幸でありながらもあっけらかんとした明るさがあって、とても可愛い。

可憐なおりんの最期はひとりぼっちでした(涙 涙 涙)

鑑賞後に、原作には最期の記述はないということを知ったのですが、このラストの映像はとても良かったと思います。(哀しすぎますけどね…。)

終盤におりんがさまよい歩いているときに子供の頃のおりんの声で

「ご門扉に文書くときは すずり水やらそりゃ涙やら」

という唄と三味線が響くのですがそれがまた何ともいえない気持ちに。

俳優もみんな良かったです。

おりん役の岩下志麻の横顔がめちゃくちゃキレイでした。

もちろん正面顔も美人ですけど、横顔は特に絶品ですなぁ、ずっと見ていたくなる美しさ。

それから原田芳雄さんって、若い頃はこんな逞しい感じだったのね。

西田敏行さんが夜這い男として登場したのですが、西田敏行だと分っていても、あれ?ダチョウ倶楽部の上島さん?と思ってしまった。

私の脳はこの二人が同じ顔だと認識しているようです。

2011年11月15日 (火)

『山椒大夫』

子供の頃、市民ホールでやっている演劇によく連れて行ってもらっていました。

ほんとに幼い頃のことなので、その記憶はほとんど残っていないのですが、ただひとつ、強烈に覚えている舞台があって、

生まれて初めて「物語で大号泣する」という経験をした舞台だったのではないかと思います。

それが安寿と厨子王の物語。

船で母親と離れ離れになるシーンの悲しさは衝撃的で

世の中にこんなに悲しいお話があるのかと、ショックを受け、

「あんじゅー、ずしおーう」

という叫びは今でもはっきりと覚えています。

まだ小さい子供だった私はこの悲しさをしばらくひきずり、

どうかこんな恐ろしいことが自分の身に起こりませんように、とお祈りしていました。

そんな思い出のある「安寿と厨子王」。

先日初めて『山椒大夫』を見ました。

いや、そもそも溝口映画を初めて見ました。

日本映画はあまり興味がなかったのでほとんど見ていないのですが、

大好きなジャン・ユスターシュが「ミゾグチの『山椒大夫』を見て映画を撮ろうと思った」とのことで、

これは見ておかなければならない、と。

…見て良かった!!!

こんなに素晴らしいものを今まで見ていなかったなんて。

とにかく映像が美しいっ!!!

不思議な奥行きがあるんですよね。

そして構図が全て美しい!!

映画なので当然画面は動いているんですがどの場面もカンペキと言えるくらいに美しかった。

子供の頃衝撃を受けた「安寿と厨子王」の物語ですが、

今回は映像美による感動を経験しました。

日本映画イイわ~。

ユスターシュに限らず、ミゾグチ監督はトリュフォーやゴダールにも影響を与えたそうですが

こういう古い日本映画を見るときってなぜか「外国人であるトリュフォーにはどんな風に見えたんだろう」っていう目線で見てしまいます。

2011年11月 5日 (土)

飢餓海峡

水上勉原作の『飢餓海峡』。

原作が傑作なのでストーリーはもちろん面白いし、映画も俳優陣がそれぞれ素晴らしかったです。

三國連太郎かっこいいなぁ。

私は本を読んで少し経つと内容や登場人物をすっかり忘れてしまうことが多いんですが、

この小説の「八重」は今も印象に残っている登場人物です。

八重が大好き。

本を読んでいて、登場人物がまるで本当にいるような

キャラクターが勝手に動き出しているような感覚になることがあって、

でもそれはごく稀で、

そういう小説が本当に優れた作品だと思っています。

読み終わってからもその人物をずっと想ってしまう。

小説に描かれていない部分まで理解できてしまうというか

小説から離れても自分の空想の中で物語がはじまってしまうくらいにキャラクターが出来上がっています。

他にそういう感覚になったのは「風と共に去りぬ」のスカーレットとかですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっと映画の内容からは話がそれますが、

八重に出会ってから、モノの扱い方が変わりました。

この映画のDVDを観終わって、画面をテレビ番組に切り替えた時、

自分が今いる環境が異常に思えました。

最近収納ブームで、収納法とか片付けの仕方とかがたくさん紹介されていますが、

もうこれ以上モノを増やす必要はないと心から思いました。

今あるものを大切に最後まで使い切ろう!これが日々のテーマになりました。

2010年12月 4日 (土)

『善き人のためのソナタ』

2006年『善き人のためのソナタ』。

1984年、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツを舞台にした映画で、ちょっと堅苦しい映画かなと思ったんですが、 静かな緊張感・スリルが素晴らしく、見ているうちにどんどんひきつけられていきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

原題は「The Lives of  Others」だそうです。

ここで原題・邦題問題について。

映画のタイトルが原題の直訳のままというのは味気ないという人も多いみたいですが、私はどんな映画でも原題で公開してほしい派です。

原題より邦題のほうが優れてる映画もありますけど、

邦題が優れていれば優れているほど、その映画のイメージを固定化してしまうような気がしてちょっといや。

私はできる限り事前情報なしに映画を見て、自分なりに色々感じ取りたいと思っているんですが、

優れた邦題っていうのは、タイトル自体が「この映画はこういう映画です」って紹介してしまっているようなものなので、そういったものが入り込んでいない状態で映画を見たいんです。

この映画も『善き人のためのソナタ』という邦題がドンピシャだし、この邦題によってラストの感動が増すんですが、なんだか見方を限定させられてしまってる気がして。

「The Lives of  Others」というタイトルとして見るのと、「善き人のためのソナタ」というタイトルとして見るのでは、映画の印象が全然違いますよねー。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東ドイツを舞台にした映画『グッバイ レーニン』もとても面白かったけど、この映画も面白かったです。

ベルリンの壁崩壊後、自分がずっと監視されていた事実を知ったドライマンが「なんて国だったんだ」とつぶやくシーンが印象的でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

映画とは関係ないですが、今月から本部に異動になり、猛烈に忙しくなってしまいました。映画を見る時間がなかなか取れず…。見たい映画がいっぱいあるのに。

2010年10月23日 (土)

『NINE』

2009年ロブ・マーシャル監督の『NINE』。

1963年フェニーニの『8 1/2』のリメイクということですが

どーーしてこの映画を作ったんだろう…。

『8 1/2』はリメイクが成立しない映画。

世の中リメイクが成立しない映画ってものがあるのよ。

ほかにはゴダールの作品なんかもそう。

とあるヒットメーカー監督は、3行であらすじを説明できるのがいい脚本だと言ったそうだけど、

あらすじ自体が存在しない映画がある。

『8 1/2』はそういう映画。

言葉による解説はできないし、言葉にしてしまった時点で違う映画になってしまう。

よく「難解」だと言われたりするけど、そういう映画の見方はひとつ。

共感するとか理解するということは諦めて、ただイマジネーションの洪水に流されればいいんだと思います。

別段『8 1/2』を神格化するつもりもないけど、(実際ねむたくなる映画だし)やっぱり唯一無二の価値をもった作品だと思う。

『8 1/2』はミュージカルとして舞台化されていたらしく、『NINE』はそのミュージカルの映画化ということみたいですが。

『NINE』を『8 1/2』と比較してはいけないのかもしれないが、だったら全くの別物として撮ればいいものの

映画のセットだったり、サラギーナだったり、

ところどころ『8 1/2』のビジュアルをそのまんま取り込んでるからさぁ、

これは比較してくれと言われてる気がしちゃって。

指をボキボキと鳴らしながら見た次第です。

まして『8 1/2』が好きだという人間は、理屈っぽく映画論をぶちたい人間であるから

あーだこーだ言われるのは覚悟のうえで作ったのだろうかと思ったけど…。

いや違う、そうではないということに気づく私。

『NINE』を見る人っていうのは『8 1/2』が好きだという人よりも、『8 1/2』を知らない人のほうが圧倒的に多いに決まってる。

そもそも『NINE』は私のような人間を対象に作っていないんでしょう。

豪華絢爛でセクシーでたしかに目は楽しめる。

けどなんか物足りない。

せめてこの映画にボブ・フォッシーが噛んでいればもっと良かったんじゃないかなぁ。

ロブ・マーシャルが監督した『シカゴ』は2002年にアカデミー作品賞を受賞して、そのほか数部門で賞を獲得した。

ボブ・フォッシーはノミネートされなかったけど実はボブ・フォッシーによる功績が大きかったんじゃないかとひそかに思ってます。

あとはところどころモノクロになるんだけど、モノクロ映像ならではの美しさが全く出てなくて残念。

ボブ・フォッシーなら『レニーブルース』のように美しい光と陰で効果的な映像を作れたはずなのになぁ。

ペネロペ・クルス、ニコール・キッドマン、ケイト・ハドソンといった有名女優を使ってるけど、無名タレントで事足りる気がしてしまった。

確かにみんな美しかったけど、プラスティックな美しさで、彼女達の個性を殺してしまってる。

そのなかでソフィア・ローレンがみょうに浮いててちょっと滑稽にも見えてしまった。

そして最も悪いことにグイドの魅力が足りなすぎる!

ダニエル・デイ=ルイスは大好きなのに、この役が全く似合ってない。

これほどの女性達が集まってくる男にはどうヒイキ目にみても見えないという悲しさ。

フェリーニのほうのマストロヤンニにはお茶目さがあって、女性がほっとかない軽妙さがあった。

フェリーニという人は登場人物の個性を大切にしていたように思う。

ザンパノやカビリア…。

どの映画もキャラクターが個性的で、映画を見終わった後にも登場人物がひとりの人間として心に残り続ける。

ビジュアル面でのインパクトだけじゃなく、そこに人間味だったり、ひとりひとりの個性がとても自然に生まれている。

フェリーニの魔術はそこにある気がする。

映画『NINE』を見てフェリーニとボブ・フォッシーの才能を想う。

とりあえずペネロペちゃんの美しい太ももによだれをたらすということを目的とした「ミュージックビデオ」としては優れた作品だと思います。

2010年7月 7日 (水)

引っ越し

先日、栃木から東京の町田に引っ越しました。

6月30日に引っ越してきて一週間経ちますが、いまだダンボールに囲まれています。

今日やっとネットが使えるようになりました。

8ヶ月前に埼玉から栃木に引っ越したばっかりですが、またお引っ越し。

これほど異動・転勤の多い会社はめったにないでしょうね…。

普通の会社は一ヶ月くらい前に内辞が出ると思いますがうちの会社は一週間前。

仕事をしながら週休を使って物件を探して、引越し業者と打ち合わせして、今の職場と次の職場の引継ぎを済ませる。

ほんとにたった一週間で荷造りやら引継ぎやら引越しやら、何から何まで全て完了させて次の職場に出勤しないといけない。

前後一週間は休みなんてない状態。

バタバタと引越しを済ませて、半年~一年くらい経って落ち着いたところでまた異動なんだろうな。

左遷とか昇進ってわけじゃなく、ジョブローテーションとして全国転勤が発生します。

同年代の女の子でこんな経験している子はなかなかいない。

ほんとに苛酷だけど、どんどん強くなっていく自分がなんか面白いと思う。

よく学生時代に戻りたいという人がいるけど、私はそう思ったことはないです。

つらいことはいっぱいあるけど、自分で働いたお金で好きなものを買って、色んな場所で色んな経験ができる今が一番幸せ。

しばらくゆっくり映画を見る時間がなさそうだけど、落ち着いたら何の映画見ようかな~。

2010年6月16日 (水)

『ギルバート・グレイプ』

最初に見たのは中学生の頃でしたが、久々に『ギルバート・グレイプ』を観ました。

当時は知的障害を持った弟アーニーと、200キロを超える巨漢の母親の面倒をみるために、小さな田舎町から一歩も出ることができないギルバートに対して、あぁかわいそう。ってかんじでしか見てなかったんですが、

久々に観たギルバート・グレイプは自分自身を見ているような気持ちでした。

私にとって特別な映画のひとつになりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

弟アーニー役のディカプリオの演技は圧巻で、この年齢でこの演技ができるのは天性の演技センスなんでしょうね。

その後『タイタニック』で大大大プレイクしますが、このアイドル的なブレイクの仕方は本来の演技の才能を隠してしまったようで、幸か不幸か…といったかんじですが。

当時はディカプリオの突出した演技にしか目が行かなかったんですが、ジョニー・デップ、ジュリエット・ルイスの控えめな演技も素晴らしかった。それだけでなく母親役も、ギルバートと不倫をしている女性役も、ギルバートの姉妹たちも、全員が素晴らしかったと思います。

説明は最小限なのに、それぞれの置かれている状況、それぞれの気持ちがよくわかる。

説明が少ないとあまり伝わってこないってこともあるけど、この映画はすごくバランスのいい映画だなと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

旦那の突然の自殺で、200キロを超えるほどに太ってしまった母親。

人々から化け物を見るような目で見られてしまうんですが、そのときの彼女の表情…。

台詞はないんですが、彼女の気持ちがよーく伝わってきて胸が痛かった。

昔はこのあたりで一番の美人だったんだって言う台詞が少し前の場面であって、その台詞がここで突き刺さってきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカの田舎で暮らす彼らの生活をみていると、アメリカってのは他人に頼らず自力で生きていく力があるっていうのが前提になってる国だなーって感じます。

逆に日本は隣近所との輪が大切な国で、それがそれぞれのお国柄なわけですけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に、亡くなった母親を家ごと燃やしてしまうんですが、中学生のときこの場面をみたときは「えぇっ!?まじですか?」ってちょっとひいてしまったんですが、

今回見たときもやっぱり「えぇ!?まじですか?」って思いました…。

ただこれは母を笑いものにはさせないっていう気持ちと、残された家族たちの新しい一歩のための通過儀礼的な意味をもつ映画としては大切な場面ですね。

«デニス・ホッパー死去

最近のトラックバック

2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31